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天にまします我らの父よ

4月16日(左近 豊)

 先週、私たちはイースターを祝いました。これからしばらく、2か月ほど、礼拝では「主の祈り」を通してみ言葉を聞いてまいります。

「天にまします我らの父よ」。つい枕詞のように口にしがちですが、この呼びかけには果てしもなく、深遠なる驚きと激しい神の恵みの御業がほとばしっていることを今日は噛みしめたいと思います。

そもそも、この祈りを教えてくださったのは、十字架につけられる前の主であり、十字架で死なれた主であり、墓石け破って死をねじ伏せて復活された主です。主の祈りを祈るものは、祈ることで、祈りを教えてくださった主イエスを知ることになります。あたかも主の息づかいを、命の息吹をいただきながら祈ることになる。イースターの喜びを伝えたことで、弟子たちの多くは迫害され、逮捕されることになりました。ローマ帝国の法の支配の下で、最も重い極刑に処せられたイエスキリストを大っぴらに語り礼拝する事は、帝国の秩序への挑戦と見なされたことは当然かもしれません。殉教の死を遂げる弟子たちは、おそらく主の祈りを祈りながら復活の主を仰ぎながら召されていったのだと思います。その後の歴史の中でも、この祈りを、地上での最後の息とともにささげてきたクリスチャンも少なくないことを知っています。

例えば日本でも、潜伏キリシタンの歴史を刻み、幾多の辛酸をなめてきた長崎のカトリックのクリスチャンたちのことを思い起こします。1945年の89日に投下された原子爆弾は、このキリシタンの村、浦上の頭上で炸裂しました。濱清という神経解剖学者で東京大学でも教えておられ、3年前に召された医師は、九州帝国大学医学部在学中に812日から10月にかけて長崎で被爆直後、救護に当たった方でした。書かれた手記を引用します。

苦しみながら死んでいく人たちを目の前にしながら、為すすべもなく、自分たちの無能さに歯噛みする思いで、ただ見ているだけの毎日が続きました。

つぎつぎに出る屍体は運動場に運び出し、身許のわかった遺体から順々に、あたりから集めた焼け残りの材木を積み上げて焼きました。

身許がわからないまましばらく放置された屍体は腐敗して褐色の汚液を流し、悪臭を発し、蛆に食われておりました。救護所は丘の上にありましたので、爆心の谷間が広く見渡せました。谷を挟んで向い側の城山小学校のコンクリートの校舎が完全に潰されているのが見え、谷間の至る所から屍体を焼く煙が立ちのぼっておりました。人肉と脂肪の焼ける嗅があたり一面に立ちこめて私たちの体にもその嗅がしみつき、一生取れないのではないかと思いました。

 

長崎の爆心は浦上の天主堂のすぐ近くなので、私が行った救護所でのほとんどの被爆者がクリスチャンだったのです。その方々が、起き上がれない人も、みんなが助け合って起きて、夕方になるとお祈りをされるのです。

全身に真白に軟膏を塗られ、あるいは無数の傷口を檻裡で被っただけの人たち、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちがいっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られました。

そうしてその人たちも23日の間につぎつぎに死んでいきました。

言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じたのを記憶しております。

しかし、後で考えてみると、あの人たちの祈りは、原子爆弾を作り落とした人も含めて、人間が犯した罪に対する謝罪の祈りだったんじゃないか。あの祈りの姿に、すべてを奪われ、すべてを失った人間に遺された最後の、最高の尊厳の姿を見たのかもしれないと思うようになりました。

 

壮絶な祈りの姿に、すべてを奪われ、すべてを失った人間に残された最後の、最高の尊厳の姿を見た。その祈りはどのような祈りだったのかを、もう一人の医師、秋月辰一郎という方も語っています。

8月の灼熱の太陽が沈んだ真っ暗闇が覆う中で体中やけどで覆われて痛みと渇きに苦しむ人たちの呻き声の中から、どこからともなく祈りの声が聞こえてきたというのです。ロザリオの祈りと呼ばれるいくつかの祈り、その中には「主の祈り」もある。静かに、でもはっきりとあちこちから「天にまします、われらの父よ」とか「めでたし聖寵満ち満てるマリア、今も臨終の時も祈りたまえ」「ああ、イエズスよ、われらの罪を赦したまえ。われらを地獄の火より守りたまえ、霊魂を天国に導きたまえ」「われらに罪を犯すものをわれらが許す如く、われらの罪もお赦しください」そう祈る声がそこここから聞こえてきた、と。長い夜が明けて朝日があたりを照らす頃、ほとんどの人が亡くなっていた。死に瀕して、地上での最後の息を祈りとともに引き取ったことを知って圧倒される。地獄の中でも祈る人たち、何もないところで毎晩祈る人たちを通して、祈りで病気が治るとか、痛みが和らぐだとかではなくて、「祈ること自体が救いだ」ということを深く知る。人間に残された最後の、しかも最高の尊厳が祈りである、と。

たとえ私たちの願いや望みが潰えた、その先に、あるいは求めも希望も消え去ったその後に、それでも、いやそこでこそ本当に私たちと出会ってくださり、私たちの知らなかった時に、私たちがまだ罪人であった時に、私たちに代わって罪を負って死んでくださり、しかも死を打ち破って、私たちの絶望に終止符を打ってくださったキリストへと、主の祈りは私たちを導くのだ、と。

 聖書の信仰に根差した祈りは、このような食らいつく激しさと、まっすぐに眼差しと魂を注ぎだす相手を持つのです。今日読まれた預言者イザヤの祈りに、それは見出すことができます。「どうか天を裂いて降ってください」。天にいまし、輝かしく聖なる超越の神の栄光がある。翻って人の世はのたうつような日々に追われ、存在の耐え難い軽さに、いつしか自分自身さえ見切って、神のかたちに造られたことよりも、土くれにすぎない、はかなく脆い傷つき打ちのめされて穿たれるむなしい器であることに沈み込む現実がある。預言者が祈りをささげている紀元前6世紀、戦乱と敗北と恥辱にまみれたバビロン捕囚を経たイザヤは、希望のかけらも見いだせない崩壊と、その後のむごたらしい浮世に身を沈めながら、なお祈るのです。「どうか天から見下ろし、輝かしく聖なる宮からご覧ください」この世界を、と。

一体どこにあるのか、あなたの熱情と力強い御業なるものは、どこにも見えないだろう、と。あなたのたぎる思いと憐れみとやらは、私には示されてない、と。

あなたの聖なる民が、約束された土地にいられたのはわずかな間、敵があなたの聖なる神殿を踏みにじり土足に踏み込んで汚した。あなたのみ手の業から遠く隔たって、あなたのみ名で呼ばれないもの、となって、幾久しい時が流れてきた。

どうか、高き隔たりを超えて、天を裂いて降ってください。

今日の、この祈りの中心部分で、祈り手は16節で2度、「あなたはこそが私の父です」主よ、あなたこそがわたしたちの父です。わたしたちの贖い主です、と、旧約聖書では画期的な仕方で神を「父」と呼ばわる。もはや民族的な血縁にある先祖アブラハムが私たちを認知せず、イスラエルと呼ばれる父祖ヤコブがわたしたちと絶縁しようとも、よりどころも故郷も失って根無し草となり、打ち捨てられようとも、あなたこそが、主よ、私たちの父なのだ、と呼びかけます。

 「父なる神よ」「天を裂いて降ってください!」この祈りが聞かれるまでには500年以上の時が流れたことを聖書の歴史は示します。私たちは祈りが祈った通りにすぐにかなうことを願います。当然です。ただ、祈りがそのままの形で聞かれるよりも、もっともふさわしい形で、祈った時点では想定もしなかった仕方でかなえられるということを聖書は知っているのです。天を裂いて低きに降る神としてイエス・キリストは現れたことを告げたのが新約聖書です。

子ども賛美歌に、クリスマスの頃よく歌った「昔ユダヤの人々は」という歌い出しの讃美歌があったことを思い出しました。「昔ユダヤの人々は、神様からのお約束 尊い方のお生まれを、うれしく待っておりました。尊い方のお生まれを みんなで楽しく祝おうと その日数えて待つうちに 何百年も 経ちました。ある日天使のみ使いが、喜びなさい 神の子が みんなのためにお生まれと、高いお空で告げました。」

 祈りがこたえられるまで、その日数えて待つうちに何百年も経ちました、聖書の祈りのスパン、その長さに圧倒されたことを思い起こします。

 長い時の隔たりを経て、どのようにして旧約聖書以来の約束が、イエスキリストにおいて成就したのかを、今日の新約聖書箇所は、独特の語り口で述べています。著者は、キリスト教の教えというものを最初に体系立てて語ったパウロですが、パウロは、相続に関するローマ・ヘレニズムの法をたとえにしてガラテヤの教会の人たちに向けて書き送っています。旧約聖書で約束された救い、天を裂いて降って人間を滅びと死の縄目から解き放つ救い主の到来を手にする、すなわち比類なき恵みという財産を相続するためには、しかるべき手続きがある。相続人である者が、未成年である間は、たとえ約束された財産の潜在的な所有者であったとしても、自由にすることができないという法の規定をたとえにして、神の約束の相続人である私たち、人間は、しかし、キリストが来られるまでの期間、すなわち神が定めた時が来るまでは、未成年として様々な制約のもとに置かれており、自由が制限されている、という意味では僕や奴隷と同じ状態の置かれていたものだ、と。その不自由で約束の成就を待ち望むわたしたちのところに、ついに時満ちて、クリスマスが到来した。神の御子が、マリアから生まれ、私たちと同じ人間となられ、へりくだった私たちと同じ律法の下に僕の姿となられた、と。それは私たちと同じ地平にまで身を沈めて、十字架によって、ご自身の命に代えて、私たちを滅びと死の縄目から解き放つためであり、それはすなわち、もはや私たちが何かの奴隷ではなく、成熟した、大人とされ、制約のない神の恵みの約束の相続人とされ、キリストと同じ神の子の身分にあずかるものとするためだったのだ、と。今やキリストと共に神の子とされたのだから、イエスキリストが呼びかけたのと同じように神を「アッバ、父よ」と呼ぶことができるものとされた、というのです。さらに「天にまします、我らの父よ」と呼びかけることができるのは聖霊の働きであることにも触れるのです。「アッバ父よ」という呼び方は、アラム語の発音で、家庭内で親しみを込めて父親を呼ぶ呼び方で、イエスキリストが祈る時に神をそう呼ばれたから、その呼び方をそのまま、アラム語という別の言語の発音を訳さないでそのまま転記するしかたでギリシャ語で書かれている新約聖書の中に用いました。聖書が別の言語に翻訳されても、その言語に訳すことなく、イエスキリストの発音をそのまま、ずっと受け継いできました。イエスキリストがそう呼ばれたから、子どもが口真似するかのように、その神の呼び方をそのまま用いてきたのです。

 「天にまします我らの父よ」という主の祈りの呼びかけには、その居られる天を裂いて降ってください!という切なる祈りがあり、その祈りにこたえて御子イエスキリストが神の身分でありながらも、それに固執することなく低きに降って僕のかたちをとり、十字架の死に至るまで徹底的に私たちの痛みと破れ、的外したあり方である罪と死を、その身に負われて、陰府にまで降られ、罪を贖い、私たちの支払いきれない神への負債を代わって支払い、死に終止符を打つ復活をもって私たちをあらゆる縄目から解き放つ神の驚くべき働きがあったことが込められています。この働きの主であるイエスキリストが祈られるときには、こう祈りなさい、神を呼ぶときには、こう呼びかけなさい、「アッバ父よ」と呼んでいいのだ、と教えてくださったから、私たちは主の祈りを祈るたびに、イエスキリストのしてくださったことと一緒に、主イエスご自身の口を真似して主イエスと共に祈ることができるのです。たとえすべての望みが潰えても、何もかも失ったとしても、私たちは、この救い主イエスキリストを得ているのです。人間に与えられた最後の、そして最高の尊厳の基であるキリストを。

 

祈ります。

 

 

天にまします我らの父よ、アッバ父よ、そう呼びかけて祈ることを主イエスを通して許されていることの幸いを感謝いたします。驚くべきみ恵みを噛みしめ味わう祈りであることを覚えます。世界を覆う争いと破れ、疑いと恐れの陰に、失われる故郷、穿たれる命、潰える望みの傍らにあって、なお私たちに、御子の教えてくださった「主の祈り」を執り成しの祈りとして祈る務めを与えられていること、覚えます。どうぞ私たちの祈りを聴きあげ、あなたの時に天を裂いて降られた主の平和の器として用いてくださいますように。