クリスマス・メッセージ(20年クリスマス号巻頭エッセー)

クリスマス・メッセージ                                         左近深恵子

 

 祭司ザカリアは、やがてお生まれになる救い主のことを「あけぼのの光」と言い表しました。自分が夜のような状態の中にいることを知っていたからでしょう。時が来れば実現する神さまの言葉を信じられなかったザカリアは、神さまによって沈黙を強いられていました。沈黙の時は内なる耳を研ぎ澄まします。沈黙を通してザカリアは、自分の生きてきた世界に広がる闇の濃さを知り、自分の周りにも、自分の内側にさえも、闇が影を落としていることに気づいたのかもしれません。

 

神さまがお造りくださり、私たちの住まいとしてくださっている世界は、私たちの目を輝かせるような素晴らしいもので溢れています。見に見えるものだけではありません。誰かとの出会いや関わりを通して与えられる喜びは、手紙や電話やオンラインのやり取りには収まり切らないほど、生き生きとした、温かなものです。そのような輝く賜物までも闇で滲ませてしまう暗さの中に私たちはいます。私たちの内側にも沁み込んでいます。感染症は私たちに悲しみや不安をもたらしただけでなく、私たちが既に抱えていた現実を露わにしました。

 

ザカリアはこの夜のような世界に「我らの神の…憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」と歌いました(ルカ17879)。旧約聖書の預言者もこのように告げていました、「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」(イザヤ602)。大きな流れに揺さぶられる時も、穏やかに日常が繰り返されているように思える時も、闇の中を歩み、死の陰の地に暮らしている人々に向かって、主なる神を指し示す人々がいました。神によって立てられたこの人々は、心の中で「わたしだけだ。わたしのほかにだれもいない」「わたしをおいて誰もいない」(ゼファニヤ215)と自分を誇る人々に、主がもたらしてくださる救いの朝を告げてきました。

 

 

 神のみ子が人となられたその晩、救いの朝が世にもたらされました。地と人々を覆う闇は明け初めていきました。夜のただ中に、闇が浸み込むことのできない永久の光が輝き始めました。私たちが造り出すことも産み出すこともできないこの光は、高いところから、神さまの憐れみの心によって降られました。神さまの憐れみを求め、救い主の光を受け留める人々の上に、主の栄光の光が輝いています。