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はじめの一言

 「初めに、神が天と地を創造された」。左近 豊

 

今年、新型コロナウィルスによって閉ざされて、痛めつけられ破れ果て、闇未だ明けやらぬどころか、一層不透明さが増してゆくこの世界を見つめながら、今日の御言葉を聞いています。明滅しては消えて行く淡い期待とそのあとの深い失望と不安、まさに混沌として見通せない将来にくじけそうになりながら、与えられている言葉。まず最初に、何よりも大事なこととして聖書が確信をもって語り掛ける言葉。それは、まさに今見ている、日々困難覚えながら生活している、この世界は、神が創造されたものだと。そして、神は私たちの直面している混沌を裂いて、まったく新たに再創造されるのだ、と。

被造物、造られたすべてのもののうめきを聞きながら、共にうめきながら将来表されるはずの希望を望み見ながら(ローマ8:18以下)、今、改めて、創造された「地」を「従わせよ」と言われ託された務めがあることを、そして神の命の息吹き入れられて生きるものとされていることを、今一度受け止めさせる言葉です。そして、創世記の第一章と枠をなすようにしてヨハネの黙示録に記されている、新しい天と新しい地を見上げて、終わりの日に向けての歩みを新たにすることへと招く言葉なのです。

 

 実は、聖書の、この天地創造の言葉は、聖書の民の歴史の中で、幾たびも滅びに瀕した人々のただなかで、新しく聞き続けられ、新たに語りなおされてきたものです。天地創造のひとくだりは、決して、高い塀に囲まれた安全な街の部屋の一室のようなところで、世界の成り立ちを思索吟味しながら問わず語りに、神話の世界の物語を悠長に語る者たち中で聞かれてきたものではない。また王宮のエリートたちが国の統治に都合のよい古代神話を編纂して人々に聞かせた中ででもない。現代科学や宇宙物理学を知らない無垢な古代人のナイーブな世界観を披瀝しただけの遠い過去に置き去られた時代遅れの響きの中にでもない。むしろこの言葉が語られ聞かれてきたのは、戦に破れ、城壁崩れ落ち、王も役人も無力となり、統治のタガが外れて規範を失って四分五裂したアノミー状態(社会学者デュルケム)に陥った社会で、行く末定かならぬばかりか、崖っぷちに立たされた人々の中でのことでした。聖書の1㌻目の言葉は、確かなものが一切なくなった中で、「夕べがあり、朝があった、第一の日」「夕べがあり、朝があった、第二の日」・・・・「神は言われた」「そのようになった」「神は言われた」「そのようになった」・・・・「神はご覧にって良しとされた」「ご覧になって良しとされた」・・・・と規則的に定式を刻みながら、崩れ行く世界の根底から支える確かな御手の業を語り続け、寄る辺なく萎えた魂にねんごろに語り掛けられてきたものだったのです。時代がどんなに変わろうとも、現代にあっても、これは、荒れ果てた世界に生きる者への慰め励ましの言葉、壊れた世界を生きる人たちへの絶望に点された希望の言葉として、読まれ、語られ、聞かれてきたものです。今日、私たちはこの言葉を今に向けられた言葉として聞くことができるのです。

 先週は、広島、次いで長崎に原子爆弾が落とされ、戦争に敗れて75年目の一週間を、一日一日覚えて歩んできました。根こそぎされたのは財産や形あるものだけではなくて、内側にある自らへの信頼、人生の確かな礎が根底から揺さぶられ、砕け、崩れてしまった。だれも信じられない、というよりも、自分が信じられない。いざとなったら助けを求める人を見捨てる、しょうがなかったと言い訳しても、だれかが慰めてくれても、自分が一番知っている。そのような内なる破れを抱えたまま生きなければならない試練に黙って耐えている人たちの絞り出す言葉に胸を締め付けられる思いをされた方も多いのではないでしょうか。

そこで、私は思い起こしたのです。聖書の第1ページ目を、一番敏感に、心の琴線に触れるものとして聞いてきた人たちは、自分の外側にも内側にも、壊れた世界を抱えてしまった人たちだった、ということを。聖書はその冒頭で、すべてを失った人たちの嘆きに真正面から向き合うのです。決して癒えることの無い傷をなかったことにして忘れ去らないのです。誰にも言えない破れに苦闘する人たちの声なき声に大事に耳を傾けるのです。

 創世記1章に使われているいくつもの言葉遣いや語り口は、丁寧に分析してみると、紀元前の6世紀、今から2600年ほど前に起こったバビロン捕囚の時代に、用いられていたものであることが分かっています。(決して紀元前6世紀に創作された、というのではなく、すでに遥か昔から何らかの伝承として伝えられてきたものが、紀元前6世紀に、はっきりと語る言葉をもって人々に迫ったということです)。世界こうやってできました、などと悠長に昔話を得々と物語っているのではなくて、実際には、もうぎりぎりのところで、街が疾風怒濤の破壊の傷跡にまみれて、瓦礫の山に変わって、あちこちに人も動物も鳥も、木も草も、原形をとどめないほどに壊され、奪われ、失われ、ばらばらに崩れてしまうほどに滅びが迫り、そのような失われそうな世界と破れを抱えた人間の確かさが、礎が、基が、一体どこにあるというのかを、魂の奥底から振り絞って必死に問う中で、血のにじむようにして語り継がれた信仰の言葉と言えるのです。「混沌」という言葉は「形なく、空しい」「荒廃と混乱」という意味ですが、そのような時代を象徴するような言葉、的確に言い表す言葉でした。混沌と形容するしかない時代、そしてそのような世界だった。他の時代には使われない、紀元前6世紀の聖書の世界を言い表す言葉でした。その一言で時代の空気を浮き彫りにするような言葉でした。

 その中を生きる自らの内側に深い傷を抱えて、受けたショック、衝撃が激しすぎて、悲しみが強すぎて、痛みが深すぎて、時間は逆巻き、あの日が今日を飲み込んで、心の傷は今の自分を過去に引きずりこんでフラッシュバックする。時が倒錯してとめどなくあの日が寄せては引いて今を侵食する。広島・長崎でも、アウシュヴィッツでも、そして今年、新型コロナウィルス蔓延の中で、慣れ親しんできた世界が崩れた時、その中を生きるために獣のように本能むき出しになった人間を、そのありのままの本当の自分の姿を見てしまったことに苦しみ続けた人がいましたし、今も多くおられると聞きます。創世記1章は、だからこそ今にも迫りくるのです。

 このような混沌、茫漠として形なくむなしい荒れ果てた中に、「光あれ」との言葉を聞く。それは、混沌が、虚しさが力振るうように見えるこの世界が、そのまま猛威を振るうことは許されない。かならずや上よりの光によって切り裂かれる確信を言い表した言葉でもあります。はじめの一言、「光あれ」という言葉をもって光と闇が分けられたことで、昼から夜へ、夕べから朝へ、と向かう方向を与えられた時間の中に、「あの日」から「この日」へ、そしてまだ見ぬ「その日」へと、過去から現在、そして未来へとわたしたちの物語が、たとえそれが悲しみの記憶を語るものであっても、断片のままさまようのではなく、整えられ、沈黙の闇が破られて救いの喜びが紡ぎだされるためのが備えられたことを聞くのです。聖書は歴史の宗教です。時の中に刻まれる神の御業を見る信仰です。そして終わりの日に完成する天地創造の御業をはるかに望み見る信仰です。だから己が足元崩れ行く時にも、なお新しい天と新しい地を見上げる突き抜けた希望を失わないのです。

 

 長崎への原爆の三日後に九州大学医学部の学生として救援に入った濱清さんという人の手記を読みました。この方は、戦後広島大、大阪大や東京大、早稲田大などで教授を務めて、神経系の研究で世界レベルの業績を残して、昨年5月に96歳で逝去されましたが、75年前の8月、医学生時代、福岡から長崎に救援に向かい、市内いたるところに筆舌しがたい遺体が散乱している中を言葉も失って歩いて、救護所に指定された山里小学校にたどり着く。そこは爆心に近くて、数百人の児童と先生のほとんどが爆死した場所でもあった。大学から持ち込んだ薬も医療器具も底をついて、目の前で苦しみながら死んでゆく人たちを前に、何もできない自分たちの無能さに打ちひしがれていた。その中で見た光景として、この山里という場所が浦上の天主堂に近いキリシタンの里で、負傷者の多くはカトリック信者の方々だった。夕方になると全身に真白に軟膏を塗られ、あるいは無数の傷口をガーゼで被っただけの人たち、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちがいっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られた。そうしてその人たちも23日の間につぎつぎに死んでいった。言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じた。けれども、後に振り返ってみて分かってきたことは、
「あの祈りの姿に、すべてを奪われた人間に遺されたただ一つの尊厳の姿を見たのかもしれない」ということだった、と。

 

全てを惨い仕方で奪い尽くされ、街も家も家族も焼き尽くされ、己が命潰えるその時に、なお祈りをもって黄昏を迎える浦上のクリスチャンの姿に、この医学生は後に「人間に残されたただ一つの尊厳の姿を見た」と。

 

はじめに神は天と地を創造されたとの、はじめの一言を噛みしめ、この混沌とした中にも「御国を来たらせたまえ」と祈り、新しい天と新しい地の完成を望み見ながら、刻みゆく信仰を、全て失ってなお残された尊厳を、私たちも与えられているのです。天地創造の信仰を礎として、新たな週を歩みだしてまいりましょう。