一羽のスズメさえも

「一羽のすずめ」という讃美歌を聞いたことがあります。スウェーデン出身の歌手、レーナ・マリア・ヨハンソン(結婚して今はクリングヴァル)さんが日本公演で歌っているのを聴いた時です。レーナ・マリアさんは生まれつき両腕がなく、左足が右足の半分の長さしかなかったのですが、水泳でパラリンピック(1988年ソウル)のスウェーデン代表に選ばれ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形でそれぞれ入賞した経験をもっている方です。選手引退後は音楽大学に進み、歌手として世界を飛び回ってコンサートを開き、日本にも何度か来られてCDも販売されています。その中に日本語で歌われた曲が数曲あり、その一曲がこの「一羽の雀さえも」だったのです。

心くじけて、思い悩むこともあった、さみしく、天を仰ぐこともあった。けれども主イエスが私のまことの友であることを知っている。一羽の雀にさえ目を注いでおられる神が、このわたしを支えてくださっている。だから声高らかにうたう。ああ、一羽の小さな雀さえも守ってくださる神が、この私に目を注いでくださっている、と。

あるところでこう語っているのを読みました。生まれつきの障がいに、確かに少し不便を感じることはある、けれども悲しんだり、落ち込んだりしたことはありません。神様は何か目的があって、私をこういう形につくられたのだと思います。ですからその目的が何であったのか、これから知らされるのが楽しみです、と。小さな誰にも顧みられないような雀にさえも目を注いでおられる神がこの私を支えてくださっている、だから声高らかにうたう、というこの歌がレーナマリアさんの魂から湧き上がってくる喜びとともに私の心に響いたのです。

 それから10年くらい経ったでしょうか、私はアメリカ南部のアトランタに2年ほど暮らしていたころのことです。現地のアフリカ系アメリカ人たちの教会の礼拝に出ました。その時に礼拝の中でジャズバンドが歌っていたのがこの曲だったのです。

最初は全然違うリズムだったので気づかなかったのですが、サビの部分の歌詞を聴いていてふとこれが「一羽のすずめ」をジャズ風にアレンジしたものだとわかり、家に帰ってから急いでCDを買い求めました。何度も聞きました。

最も印象に残ったのがI sing because I am happy, I sing because I am freeのところでした。私は歌う、何故って幸せだから。私は歌う、なぜって自由だから。

北米のアフリカ系アメリカ人の歩んできた歴史は決して幸せばかりではなかった。決して自由を存分に味わってばかりではなかった。むしろさげすまれ、バカにされ、名前で呼ばれるのではなく、「おい」と呼ばれ、大人なのに「boy!」と呼ばれ、何かがあればまず最初に疑いをかけられ、理由もなく痛めつけられ、それでも笑顔でいれば卑屈と言われ、一人の人間、一個の尊厳ある人格としては認められなかった。一羽の雀のように見向きもされず、認められず、顧みられなかった。でも神は違う。神のまなざしは、その雀にさえも注がれている。そのまなざしの中で守られている、歌わずにおれようか、何故って幸せだから、歌うのさ、自由だから。心折れそうな歴史を背負ったアフリカ系アメリカ人の魂の歌が心に響いたのです。

この魂の歌は、聖書のイエスキリストの言葉をもとにして書かれたものです。聖書に、5羽の雀が2アサリオンで売られているとあります。何のために売られているかといえば当時の人たちが食べるためだったと考えられます。市場で一番安い焼き肉用の鶏肉として売られていたのが雀でした。2アサリオンで一日分のパンが買えたといいますから、一羽の値段は4つ切りのパン一枚程度の価値しかなかったということです。マタイによる福音書の10章にも同じ話が出ていますが、そちらでは2羽で1アサリオンで売られているとありますので、もしかしたら2羽で1アサリオンづつ、4羽で2アサリオン、5羽目はおまけとしてタダでサービス提供されたものだったとも考えられます。  

 

その程度の価値しかないと思われていた雀、もしかしたらおまけの1羽であったとしても神のみ前には忘れられていない、というのです。人の罠にかかって捕えられ、大空を存分に飛び回る自由を奪われ、地に落ちて、命を絶たれてついには市場で売られてゆく雀。人間の世界では値段もつけられずにただでおまけにされるかもしれない一羽。そのもっとも弱く、小さい生き物の命さえも神は決して忘れておられないというのです。地に落ちてゆく一羽の雀をも神は支え、忘れず、見捨てず、共に落ちてゆかれるほどに心にとめておられる。不慮の事故や災害、数々の不正や周囲からの悪意に晒されて心くじけ、思い悩み、さみしく、遠ざかる空を仰いで落ちてゆく時、一羽のすずめとともにおられる神は、決して私たちを忘れることはないのです。落ち行く魂に伴い、先立って、陰府にまで下られた主イエスキリストは、復活の新しい命、死から解き放つ尊い恵みをもって私たちを包んでくださる。だから歌うのです。I will sing, because I am happy. I will sing because I am free. 声高らかにわれ歌わん。一羽の雀さえ、主はまもりたもう、と。