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左近豊「少年時代のキリスト」(2018年4月22日)

 今年度、共に紐解いているルカによる福音書には、他の福音書が記していないイエスキリストの言葉やなされた事柄が刻まれています。「ザアカイの物語」もそうですし、ゴッホやレンブラントが自らの作品の題材として愛した「良きサマリヤ人のたとえ話」、「放蕩息子のたとえ話」もそうです。羊飼いたちの夜を記したクリスマスの出来事もそうです。そして今日の少年時代のイエスキリストの姿も、他のどの福音書にも出てきません。それぞれに、ルカによる福音書が、読み手である私たち、聞き手である教会の人たちに、どうしても伝えたい、そして出会ってもらいたいキリスト、そしてその言葉だからなのです。

 それはルカがみる世界史の中心におられるイエスキリストを、ただ偉人としてではなくて、救い主として仰ぐことへと招くためなのです。福音書をしたためたルカは、おそらくもっともっと他にも語りたいことがあり、またイエスキリストの事について溢れんばかりに聞いてきた証言者たちの言葉があったでしょうし、そのために割きたいページもあったことでしょう。けれども、イエスキリストの伝記を書くためではなく、自らも味わい、噛みしめてきたキリストの救い一点に魂を込めて筆を走らせ、語り部として言葉を紡ぎ出したのだと言えます。今日のイエスキリストの少年時代についても、そうです。ただ子どもの頃の様子をリポートするために、あるいはクリスマスから一気にヨルダン川での洗礼者ヨハネとの出会いまでの約30年間を橋渡しするために記したのではない。むしろ今日のこの箇所を通しても、旧約聖書の歴史、そしてその信仰を踏まえながら、イエスキリストが、新しい救いの啓示をその歩みにおいて示され、「時の中心」となられ、教会の時代において欠くことのできない証しとなったことを語るものなのです。

 毎年、過越しの祭りになるとエルサレムの都に上る、それは旧約聖書の最も中核にあり、また救いの原点にある出エジプトの出来事を、家族、そして共同体全体で、一足一足、実際の旅を通して踏みしめ、都に着いてからは神殿や祭りの中で、何世代にもわたって、1000年以上にわたって追体験されてきた救いを、大いに自らの体験として味わうものだったと言えます。この体験なしには、自らが何者であり、何のために生き、何のために死ぬるのかがぼやけてゆく、そのような魂の糧であり、礎ともいえる行程。種入れぬパンを食べ、過越しの食事を囲みながら、直接は体験していない出エジプトの切迫した時の流れとせめぎあう思いの交錯する空気を、あたかもそこにいるかのように味わう季節。それを、イエスキリストもまた共にされた、と。13歳からが大人と考えられるので、それ以前から幼き足を踏みしめながら神の民の道行きをその身に刻まれたのだと、ルカは語るのです。

 そのただなかでの出来事として、少年イエスが旅行く人の群れからはぐれ、1日分の道のりを両親は進んでからそれに気づいて引き返す。親は自らを責めながら、子を見失ったことへの後悔に胸を押しつぶしながら、これで本当に見失うだけでなく、子を失うことになったならば、と血眼になってあらぬ方向へ、最悪のケースを想定しながら、その思いを振り払おうとすればするほど追いすがるその怖れに足をもつれさせながら一心に来た道を取って返したことでしょう。まぶねの中に産声あげて、ありあわせの布でくるんで抱きしめた赤子の柔らかさをまるで昨日のことのように思い起こしながら。難民となってエジプトへ逃れる道行きでわが腕に必死に守った命のぬくもり。手を引いてナザレの村を歩きながら見上げる愛おしかった幼き顔つき。今やすべてが失われるかのように手を、腕をすり抜けて行く。いつか失われ剣で心を刺し貫かれるというシメオンの言葉をどこかで遠くに先延ばしして聞いていたかった。3日間、半狂乱になって探しあぐねた親は少年イエスを、人通りの絶えた寂しき町裏に、人目の届かぬ街角の陰に、街の外の深き闇に求めたかもしれせん。失われし子を死の淵に探さねばならない惨さにのたうつばかりの思いに苛まれながら。

それは、実に30数年後に母マリアを刺し貫くことになる。ルカ福音書を読み進み、聞くにつれ私たちも味わいしることになる。

ただし、福音書が福音であること、喜びのおとずれであることは、その後にある。全ての子を失って慰められることさえ願わない嘆きの中にある親たちとともに母マリアが、イースターに見出したように、想定だにしていないところに驚きを伴って見いだされるイエスキリストがおられることをルカ福音書は、証しするのです。それを今日の箇所でも、かすかに聞くことになる。

 母マリアの問いに応えて少年イエスが答える言葉は、ルカ福音書では最初のイエスキリストの発言となります。「なぜわたしを探したのですか」。ここだけで聞けば、心配の余り気も狂わんばかりに探しあぐねた親の思いを無にしているようにも聞こえます。けれども、福音書全体の響きの中で聞く時、この答は、むしろ慰めの響きを帯びるのです。失われし子をあの日の記憶の中に、迫りくる闇の中に、死の恐怖のなかに、永遠に失われゆく不安の中に、慰めなき嘆きの中に、もう探さなくていいことを。主イエスはそこにはおられない、絶望の淵にはおられない。

むしろ全ての命の源であり、また礎であられる父なる神のところに、その驚くべき御業のなかにおられるのだから、と。全ての子が、たとえ失われゆく子であっても、このキリストに連なる神の子とされていることまで含みながら。

 私たちの聖書では「私が自分の父の家にいる、ということを知らなかったのですか」と訳されているのですが、原文のギリシャ語を直訳すると、特に「家」という言葉や「神殿」とか「宮」といった言葉はありませんで、あえて訳すならば「ご存じなかったのですか、私の父のものの中にいるはずであることを」「わたしの父のことどもの中にいるに他ならないことを」となります。ある翻訳では、その曖昧な部分に解釈をくわえて「私の父の世界の中にいるはずのことを」と訳しています。ヨセフとマリアを父母とする家族の範囲ももちろんはいりますが、そこに留まらない、父母が心配して捜しあぐねた全ての領域も、さらにはエルサレムの神殿も都全体も、さらにそこにとどまらず都の外の人影絶えた寂しき村も、羊飼いたちの野宿する沈黙の夜にも、ゴルゴタの十字架、そして陰府にまでも、そして、今も、イエスキリストは、「私の父のものの中」「わが父の御業の中」、慰め拒んで悲しみの淵に沈む者の傍らにあって、ここも神の御国とされる御業の中に、必ずおられることを知ることになる。イースターに、死を滅ぼしつくして、私たちの命の行く手に死を引き裂いて命の道を通してくださり、ご自身を頭とするキリストの体なる教会を、あらたなる生ける神殿として、聖霊の息吹によってキリストの救いを味わい、追体験し、キリストの命をまとう証し人として、世に遣わされる、そのすべての御業の中に、父のものたちの中にいますことを、まだその意味がはっきりわからなくても、全てを心に納めて思いめぐらすほかないとしても、知ることへと招いているのです。「知らなかったのですか?(いや、知っているでしょう、知ることになるのだ)。イエスキリストの父のあふれんばかりの慰めと赦しと命の御業の中に、イエスキリストが昨日も今日も、そして永遠におられることを」